~二つの仏教・浄土仏教と聖道仏教の違い~
本尊とは?
浄土真宗とはどのような教えなのか、浄土仏教と聖道仏教、
または浄土真宗と浄土宗の違いなどを通して書いています。
今日は、各宗派が本尊としている仏さまについて書いていきたいと思います。
浄土宗・・・阿弥陀如来
浄土真宗・・阿弥陀如来
天台宗・・・薬師如来
真言宗・・・大日如来
曹洞宗・・・釈迦如来
臨済宗・・・釈迦如来・大日如来など
いままで書いてきた、開祖、本仏、お経をまとめますと次のようになります。
浄土宗・・・法然 阿弥陀如来 浄土三部経(大無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)
浄土真宗・・親鸞 阿弥陀如来 浄土三部経(無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)
天台宗・・・最澄 薬師如来 法華経
真言宗・・・空海 大日如来 大日経・金剛頂経
曹洞宗・・・道元 釈迦如来 金剛般若経・法華経など
臨済宗・・・栄西 釈迦如来・大日如来など 金剛般若経・法華経など
まず仏と如来は同じです。
仏のことを如来ともいいます。
ここで阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、釈迦如来、といったように
いろいろな仏さまが出てきます。
名前は違ってもレッテルが違うだけで、同じ仏さまなのだろうと思って
いる人も少なくないようですが、これらはみな違う仏さまです。
御文章には
「弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり」
と教えられています。
これはもちろんお釈迦さまが教えておられることなのですが、
そのことを御文章には非常に分かりやすくひらがなまじりで書かれて
あるので、ここに紹介したわけです。
弥陀如来とは阿弥陀如来のこと。
三世十方の諸仏とは、この地球上で仏のさとりを開かれた方はお釈迦さま
だけですが、大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、
そこに仏さまが現れておりますので、仏さまもまた数えきれないほど、
ガンジス川という大河の砂の数ほどおれれるとお釈迦さまは教えて
おられます。
大宇宙にまします、数え切れないほどの仏さまを三世十方の諸仏と
いわれているのです。
その諸仏方の、本師本仏の仏さまが阿弥陀仏なのです。
本師本仏とは、本師も本仏も先生、師匠ということです。
阿弥陀仏は師匠、先生の仏であり、
それ以外のすべての仏は、みな阿弥陀仏の弟子であり、生徒なのです。
阿弥陀仏とお釈迦さま、大日如来、薬師如来もみな違う仏さまだと
初めて教えてもらったのは浄土真宗親鸞会の講演でした。
親鸞会では繰り返し(重要なので)この釈尊と阿弥陀仏の違いについて
話がなされており、親鸞会で話を聞いている人にとってはもはや常識
なのですが、親鸞会で聞いていない人にとっては驚きの事実だと思います。
仏教の宗派
釈尊(お釈迦さま・ブッダ)の説かれた仏教にはいろいろ宗派があります。
今日は宗派の開祖について紹介したいと思います。
簡単にまとめてみました。
浄土宗・・・・法然
浄土真宗・・親鸞
天台宗・・・・最澄
真言宗・・・・空海
曹洞宗・・・・道元
臨済宗・・・・栄西
日蓮宗・・・・日蓮
一宗一派を開いた人を開祖といわれます。
仏教は、大きく浄土仏教と聖道仏教の二つに分けられると書いて
きましたが、今一度まとめてみましょう。
【浄土仏教】
浄土宗・・・・法然
浄土真宗・・親鸞
【聖道仏教】
天台宗・・・最澄
真言宗・・・空海
曹洞宗・・・道元
臨済宗・・・栄西
日蓮宗・・・日蓮
これが一般的な見方ですね。
ここでよく受ける質問があります。
親鸞聖人の先生が法然上人だと思うのですが、浄土真宗と浄土宗って
違うんですか?という質問です。
ちょっとややこしいところもあるのですが、このことについて簡単に
説明いたしましょう。
まず結論をいいますと、親鸞聖人と法然上人の教えは同じです。
浄土真宗の開祖・親鸞聖人には次のような言葉があります。
「たとひ法然上人にすかされまいらせて、 念仏して地獄へ堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず候」 (歎異抄二章)
親鸞聖人は、 「法然上人になら、だまされて地獄に堕ちても後悔しない」といわれて
いるのです。
このことについて浄土真宗親鸞会で分かりやすく次のように教えてもらいましたの
で紹介しますね。
私たちは通常、”だれにもだまされたくない”と思って生きています。
ですから他人を信じる時は、”決して私を裏切らない”と思って信じますよね。
ところが、信じた相手にだまされると、”あんなヤツとは思わなかった。
信じなければよかった”と、恨み憎んで苦しみます。
親鸞聖人はしかし、
「たとい法然上人に賺されまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」(歎異鈔)
“法然上人になら、だまされて地獄に堕ちても、まったく後悔はない”
と断言されているのです。
これは阿弥陀仏に救い摂られて、だまされようのない身になっていなければ
ありえないことでしょう。
聖人二十九歳の御時、法然上人の教導によって、
「必ず絶対の幸福に救う」
と誓われた弥陀の本願に、ハッキリと摂取された。
「まことなるかなや、摂取不捨の真言!」
と躍り上がる明らかな体験でした。
「弥陀の本願まことだった」と信知させられた親鸞聖人の、法然上人への尊敬の念はいかに深いものであったか。
このお言葉からも知らされます。
そんな親鸞聖人が法然上人と違うことを教えられるはずがありません。
ではなぜ浄土宗と浄土真宗があるのでしょう?
そのことについて、次回につづきます。