~二つの仏教・浄土仏教と聖道仏教の違い~
なぜ苦しいことばかりなの? 浄土真宗ではこう教えています
皆さん、毎日、幸せですか?
以前、「最高ですかー!」と叫んで回っていた団体がありましたが、心からの幸せって、なかなか味わえないものではないでしょうか。
日々、さまざまな苦しみの波に翻弄されている私たち。では、どうして幸せを叫ぶよりも苦しみの愚痴をこぼすことが多くなってしまうのでしょうか。
苦悩の根元(苦しみ悩みの根本原因)は、何でしょうか。
お金がないから、病気がちだから、人間関係がうまくいかないから……。
たしかにこれらも苦しみの一因ではありますが、ではこれらが解決したら大満足の人生を謳歌できるか……と考えれば、そうとも言えませんよね。
お金があるがために苦しむことのあるのは、毎日のニュースを見ていれば分かることです。
では、苦しみの元凶は何か?
自己と向き合い、厳しく見つめている人ならば、自分を悩ますものは、欲望や腹立ち、ねたみそねみの「煩悩」だと思っているのではないでしょうか。文字どおり「煩わせ悩ませるもの」と書いて、「煩悩」というからです。
聖道仏教では、この煩悩を抑え、断ち切ることこそ、さとりへの道であると教えています。
ところが浄土真宗の祖師・親鸞聖人は、人生を苦に染める元凶は、
「決するに、疑情をもって所止となす」(教行信証)
「疑情ひとつ」と決断されています。「決するに」「所止となす」の断言には迷いがありません。
「苦悩の根元は、これひとつ」と断定される「疑情」とは、死後どうなるか分からない「無明の闇」のことです。
苦悩の根元を「無明の闇」といわれて、「なるほど」とうなずく人は、いないといってもいいでしょう。
「えっ!? それ、なに!?」と驚く人、「聞いたことも、読んだこともないよ」と、みんなソッポを向くにちがいありません。
では、苦しみの根元と断定される「無明の闇」とは、どんなものなのでしょうか。
浄土真宗では、苦悩の根元とその解決を教えられています。
本尊とは?
浄土真宗とはどのような教えなのか、浄土仏教と聖道仏教、
または浄土真宗と浄土宗の違いなどを通して書いています。
今日は、各宗派が本尊としている仏さまについて書いていきたいと思います。
浄土宗・・・阿弥陀如来
浄土真宗・・阿弥陀如来
天台宗・・・薬師如来
真言宗・・・大日如来
曹洞宗・・・釈迦如来
臨済宗・・・釈迦如来・大日如来など
いままで書いてきた、開祖、本仏、お経をまとめますと次のようになります。
浄土宗・・・法然 阿弥陀如来 浄土三部経(大無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)
浄土真宗・・親鸞 阿弥陀如来 浄土三部経(無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)
天台宗・・・最澄 薬師如来 法華経
真言宗・・・空海 大日如来 大日経・金剛頂経
曹洞宗・・・道元 釈迦如来 金剛般若経・法華経など
臨済宗・・・栄西 釈迦如来・大日如来など 金剛般若経・法華経など
まず仏と如来は同じです。
仏のことを如来ともいいます。
ここで阿弥陀如来、薬師如来、大日如来、釈迦如来、といったように
いろいろな仏さまが出てきます。
名前は違ってもレッテルが違うだけで、同じ仏さまなのだろうと思って
いる人も少なくないようですが、これらはみな違う仏さまです。
御文章には
「弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり」
と教えられています。
これはもちろんお釈迦さまが教えておられることなのですが、
そのことを御文章には非常に分かりやすくひらがなまじりで書かれて
あるので、ここに紹介したわけです。
弥陀如来とは阿弥陀如来のこと。
三世十方の諸仏とは、この地球上で仏のさとりを開かれた方はお釈迦さま
だけですが、大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、
そこに仏さまが現れておりますので、仏さまもまた数えきれないほど、
ガンジス川という大河の砂の数ほどおれれるとお釈迦さまは教えて
おられます。
大宇宙にまします、数え切れないほどの仏さまを三世十方の諸仏と
いわれているのです。
その諸仏方の、本師本仏の仏さまが阿弥陀仏なのです。
本師本仏とは、本師も本仏も先生、師匠ということです。
阿弥陀仏は師匠、先生の仏であり、
それ以外のすべての仏は、みな阿弥陀仏の弟子であり、生徒なのです。
阿弥陀仏とお釈迦さま、大日如来、薬師如来もみな違う仏さまだと
初めて教えてもらったのは浄土真宗親鸞会の講演でした。
親鸞会では繰り返し(重要なので)この釈尊と阿弥陀仏の違いについて
話がなされており、親鸞会で話を聞いている人にとってはもはや常識
なのですが、親鸞会で聞いていない人にとっては驚きの事実だと思います。