~二つの仏教・浄土仏教と聖道仏教の違い~
聖道仏教とは?
このサイトは浄土真宗について知っていただくために仏教の宗派のい違いについて
書いています☆
浄土真宗とか、天台宗とか、真言宗とか、いろんな宗派の名前を聞いたことは
あるけれど、違いがまったく分からない、という方は決して少なくないと思います。
私もそうでした。
そこで、まずたくさんある宗派を大きく2つにまとめてみましょう。
仏教は大きく以下の2つにまとめられます。
・浄土仏教(他力仏教)・・・浄土真宗、浄土宗
・聖道仏教(自力仏教)・・・天台宗、真言宗、禅宗など
これは私のオリジナルではなくて、仏教の一般常識なんですね。
でも、日ごろ仏教に触れる機会がないと思いますので、仏教では常識でも
一般ではあまり知られていないわけです。
天台宗、真言宗などの聖道仏教は、煩悩のなくして本当の幸せになろう、という教え、
浄土真宗などの、浄土仏教は、煩悩あるままで本当の幸せになろう、
という大きな違いがあります。
最初に「本当に私たちは煩悩をなくし助かるのか」、というテーマで
進めております。
今日は●真言宗の刈萱道心(かるかやどうしん)●です。
かの有名な刈萱道心は、元は加藤左衛門繁氏といって筑前、筑後、肥後、肥前、大隅、薩摩の六カ国の探題であった。
ある日、箱崎の桜見物に行き、桜花らんまんと咲き誇っている下で酒宴中、一片の花びらが杯の中に散り込んだのを見て、いたく無常を感じ、帰館した。
その夜彼は、妻の千里と愛人の須磨が表面は仲良さそうに一室で琴を合奏していたが、ふと障子に映った彼女たちの頭髪が大蛇となって噛み合っているすさまじさを見る。このように人を大蛇にする原因は皆自分にあると罪悪深重に驚き、その夜、そっと家を出て、ついに高野山に入り真言宗の僧となる。刈萱道心と名乗った。
彼が家を出た時、妻の千里に一子が宿っていた。後の石童丸である。大きくなった石童丸が、「なぜ僕には父様がないの」としきりに尋ねるので、千里はついに一部始終を打ち明けた。
聞くより早く石童丸は、父恋しい心が燃え上がり、母とともに高野山に向かった。しかし高野山は、女人結界の地なので母は登れない。ふもとで別れる時、
「おまえの父上は、人よりも背が高く左の眉毛にホクロのあるお方だよ」
と母は教えた。それを頼りに石童丸は、高野山の峰や谷の寺々をくまなく尋ね歩いたが、父上らしい僧に出会うことはできなかった。ある日、一つの橋を渡ろうとした時、左手に花を持ち右手に念珠を持って南無遍照金剛をとなえながら、刈萱道心が下ってきた。
もしや父上ではなかろうかと、石童丸は駆け寄って、その名を尋ねた。道心は不審に思ってよくよく見れば、その顔は妻に生き写しではないか。そのうえ、所持する短刀は、まさしく自分がかつて持っていたものである。
「おお、おまえはわが子、石童丸ではないか」
と、あわや名乗らんとした時、一切の恩愛を断ち切れと説く厳しい真言宗の教えを思い出し、今、名乗れば今までの十四年間の苦行は水の泡、声なき声に戒められ、
「そなたの尋ねている刈萱道心は去年の秋に亡くなられた」
と、心を鬼にして言い切った。一瞬泣き崩れた石童丸が、
「せめてお墓なりとも」
と頼むので、道心は仕方なく一つの新しい墓前に連れていく。
紅葉のような両手を合わせジーッと墓を見つめていた石童丸は、やがてワッと泣き伏した。
道心は張り裂ける思いに耐えながら、ようやく下山させたが、わが子の影が見えなくなると同時に、その場に打ち倒れた。石童丸が泣く泣く山を下りてみれば、ふもとでしきりにカラスが鳴いている。不思議に思いつつ家に帰ってみれば、哀れ、母は病のために亡くなっていた。やむなく一人の姉を頼りに筑前に帰ったが、その姉もこの世を去って四十九日目であった。
何たることか。そこで石童丸はいよいよ無常を痛感し、ついに意を決し、自分も父のみ跡を慕って出家しようと、再び高野の峰を尋ねた。再び登山して来たわが子に驚き、一切を聞かされた刈萱道心は、
「何、母が死に姉も死んだのか」
と、思わず知らずホローと一滴の涙を落としたのである。
この一滴の涙が、彼の十四年間の難行を、元のもくあみにしてしまったのだ。
◇ ◇ ◇
山にこもって妻子を遠ざけ、見ざる、聞かざる、言わざるまではできても、思わざるだけはどうしようもなかったのです。
恩愛はなはだたちがたく
生死はなはだつきがたし
念仏三昧行じてぞ
罪障を滅し度脱せし
浄土真宗の親鸞聖人のお言葉が、身にしみ入ります。