~二つの仏教・浄土仏教と聖道仏教の違い~
浄土仏教(浄土真宗・浄土宗等)と聖道仏教と織田信長と
仏教は大きく、浄土仏教(浄土真宗・浄土宗等)と聖道仏教(天台宗・真言宗・禅宗・日蓮宗等)に分けられることを書きました。
この二者の間には、古来より幾度も争いがありました。
中でも有名なのは、天正7年(1579)、織田信長の安土城下で、浄土宗と日蓮宗の僧が行った法論でしょう。「安土宗論」「安土問答」「安土法論」などと呼ばれます。
法論の結果、浄土宗が勝ちとされ、日蓮宗側は処罰されました。
時代は下って徳川家康の時代にも、同様の争いがありました。
小瀧淳著の『先賢遺話 逸話美談』(厚生閣)を元に、アレンジしながら紹介してみましょう。
浄土僧と法華僧が法論を行うことになりました。
そこで前日に家康がまず法華僧を呼び、
「法論に勝ったら、相手にいかなる処分を望むか」
と尋ねたところ、法華僧は
「首をはねてください」
と答えました。
次に浄土僧を呼んで同様に尋ねると、
「宗論は、どちらが本当の仏教かを明らかにするのが目的ですから、別に処罰は望みません。せいぜい、袈裟を取り上げられる程度でけっこうです」
との答えでした。
家康はこれを聞いて、
「明日の法論は、浄土僧が勝つであろう。なぜならば、『首をはねよ』と言う法華僧には邪念があり、仏弟子にはふさわしくない。しかし『袈裟を取り上げればじゅうぶん』とする浄土僧は、仏法者としての心構えができているからだ」
と予想しました。
そしてそのとおり、法論は浄土僧が勝ちました。
これらは言い伝えですから、事実関係がどうであったかは定かではありませんが、浄土仏教と聖道仏教の争いは、実際に多く行われています。
それには大小様々ありますが、どうして浄土仏教の勝ちとされるのか。
親鸞会では、お釈迦様の説かれたお経を根拠として、詳しく教えられています。
今後、書いていきたいと思います。
阿弥陀仏とは?
浄土真宗と浄土宗や聖道諸宗の違いについて書いています。
前回、阿弥陀仏がすべての仏の先生であると書きましたが、
そのことについてより詳しく書いてみたいと思います。
まず天台宗(もともと中国で開かれました)の荊溪(けいけい)は、
「諸教所讃多在弥陀」
と書いています。
書き下しますと
「諸教に讃ずる所、多く弥陀に在り」
となります。
諸教とはお釈迦さまが説かれた一切経の事と思われたらいいと思います。
釈尊(ブッダ)が説かれたお経には、阿弥陀仏のことばかりが褒め称え
られている、ということです。
いわゆる聖道仏教を代表するような僧侶、荊溪がこういっているのです。
浄土仏教の本仏は阿弥陀仏なので、浄土系の学者がいうなら分かるのですが
聖道仏教の大学者が、一切経には阿弥陀仏のことばかりが褒め称えられて
いるといっているので、公平に一切経を拝読した結果だと分かられると
思います。
実際のお釈迦さまの言葉を見てみましょう。
「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと
能わざる所なり」(大無量寿経)
「諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり、光明の中の最明無極なり」(大阿弥陀経)
阿弥陀仏が本師本仏であるということについて今回は書いてみました。
浄土真宗親鸞会では毎月、正信偈についての法話がありますが、正信偈は
この阿弥陀仏に救われた、他力の信心について書かれたものです。
一口に信心といっても他力の信心と自力の信心とあるのです。
その違いについて親鸞会で教えてもらいましたが、またの機会に書いてみたいと
思います。
浄土宗と浄土真宗
仏教は釈尊(お釈迦さま・ブッダ)が説かれたものですが、同じ仏教と
いいましてもいろいろ宗派があります。
前回、特に浄土真宗と浄土宗の違いについて書いていました。
今回はそのつづきです。
浄土宗の開祖、法然上人
浄土真宗の開祖、親鸞聖人
親鸞聖人の先生が法然上人です。
ですから親鸞聖人と法然上人とは同じことを教えていかれました。
では、なぜ浄土真宗と浄土宗と分かれているのでしょう。
まず法然上人には、380余人というたくさんのお弟子がおられました。
そして法然上人がなくなられたあと、同じ浄土宗でも派が分かれたのです。
善恵房証空・・・・西山派
聖光房弁長・・・・鎮西派
覚明房長西・・・・九品寺派
隆寛律師・・・・・長楽寺派
ところが、実はこの流れは正しく法然上人の教えを引き継がなかったのです。
このことを御文章二帖目十五通(九品長楽寺)には次のように書かれています。
そもそも、日本において浄土宗の家家をたてて西山(せいざん)・鎮西(ちんぜい)・
九品(くほん)・長楽寺とて、そのほかあまたにわかれたり。
これすなはち法然聖人のすすめたまふところの義は一途なりといへども、
あるいは聖道門(しょうどうもん)にてありし人人の、聖人(源空)へまゐりて
浄土の法門を聴聞したまふに、うつくしくその理耳にとどまらざるによりて、
わが本宗のこころをいまだすてやらずして、かへりてそれを浄土宗にひきいれんと
せしによりて、その不同これあり。
※ちなみに親鸞会発行の御文章は、文字がおおきく、カタカナでなくひらがなで
書かれてるので、とても読みやすいですよ。
5帖80通全部のっていますしね。
このように、法然上人からいつも聞かせて頂いておりながら、
うつくしく(いわゆる正しく)耳にとどまらなかった、
ということなんですね。
唯一正当に法然上人の流れを汲まれたのが親鸞聖人だったわけですね。
ですから、親鸞聖人も浄土真宗を開かれたのは法然上人だというお気持ち
だったのです。
そのことは親鸞聖人のかかれた正信偈の中にも
法然上人は「真宗の教証を片州に興された」と書かれてあります。
片州とは日本のことですが、法然上人はこの日本に浄土真宗の教えを起こされた、
といわれているのです。
しかし、親鸞聖人があまりにも偉大な方であるため、今日では皆、浄土真宗の開祖は
親鸞聖人といわれているのです。
浄土宗の各宗派では、法然上人が開祖とはいっていますが、
法然上人の教えとは違うものになってしまったのですね。
そこで、現在、浄土宗と浄土真宗は違う宗派になったというわけです。
ちょっとややこしかったかもしれませんが、お分かりになっていただけた
でしょうか?
もちろん諸説ありますが、今回はその一つを紹介させて頂きました。